こころ、からだ、ととのえる。

適応障害になった中学校の先生が新たな夢に向かってもがく記録

見えない敵とわたし。

こんにちは。

いきなり更新に間が空いてしまっていて、慌てて筆を取っております。

 

私自身の体調がここ数日よろしくないこともあり、更新が滞ることもありますが読んで下さる皆様、生暖かい目で見守ってやってください。笑

 

今日は私が適応障害となってしまうまでのことを書いてみようかな。しばしの間お付き合いください。

 

 

初めは、どこにでもいる普通の中学校教員だったわけです。

PMDD持ちで定期通院しつつ、無理のない働き方をしておりました。

その中でも、気持ちの落ち込みはあったもんで。通っている大学病院の精神科に回されたんですよね。

 

そして今年の4月。

講師(契約社員みたいなもんです)8年目、そろそろ教員採用試験にも受からないといけねぇな。

転勤したところだし気合い入れてやってくか!未経験の部活の副顧問だけど、何でもチャレンジだ!

 

そんなことを考えながら仕事していました。

 

が。

 

ある日、退勤のバスの中で涙と震えが止まらなくなったのです。

 

え、何?怖いよ…

 

そんな思いが頭の中を支配していました。

 

それ以降、仕事中の頭痛と動悸、眩暈と倦怠感がエンドレスで続いていました。

体がうまく動かない。

思った様に動けない。

 

職場で精神科に通っていることは言っていないので、ただのサボり、怠け、給料泥棒だ。などいろいろ言われました笑

 

ただ、あまりにも気持ちの落ち込みや上記の症状が治らず。

ある日の定期診察で医師に伝えたところ…

 

「あなたは適応障害です。」

 

そう診断が出ました。

一瞬、診察室の空気がしん、としたのを覚えています。

 

適応…障害?

まさかわたしがなるはずないよね。こんな能天気なんだもん。

深田恭子さんや雅子さまが罹った病気として、病名は知っていたけれど。

まさか私みたいな能天気な人間でもなってしまうんだ。

そう思いました。

 

初めは受け入れられなくて病院の隣の公園で30分くらい泣いていました。

大の大人が人目も憚らずに。

 

これが、わたしの適応障害との闘いの始まりでした。